たい焼き親子のキャンプブログ

キャンプ道具から登山道具などレビューします

ブログに書けない話と書いてはいけない話

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

ブラック会社の亡くなったニュースを見て、どの会社でもそんな事件があるんだなーと思ったんだけど、そんなことがある事自体異常なんだよね。

 

僕は過去、自分が壊れる事がわかったので逃げたんだけど、そんな決断ができなかったんだろなぁ。

 

長いこと仕事してると知り合いが亡くなる事も稀にある。あった。今回のような事件を見るとつい自分の経験から考えてる事をブログに書こうとするんだけど、いざ書こうとすると手が止まる。

 

書くことで誰か不快な気持ちになるのではないか、誰かの悲しい記憶を思い出させるんじゃないかと頭をよぎる。

すると書けないんだよね。このネタはやっぱ書けない、となっちゃう。

 

 

 

自分は自分でウィークポイントというかネタにできない経験もあり、他人のブログでそこをネタにしてる記事を読むとズーーンと心にくる。色々と思い出して気が滅入る。コメントを読んでみると「感動しました」とかそんなコメントが多い。モヤッとくるのは自分が歪んでるからだろう。

 

自分が体験したことで初めてわかった相手の気持ち。他にもそんな気分になる人がいるだろう、だからそのネタは絶対に書けない。書いて自分がスッキリしたい思いもあるけれど、誰かが悲しい気持ちになるのならやっぱり書けない。

 

残念なことに自分の書いた記事全てに気が回るわけでもなく、鈍感な自分ゆえ知らず知らずに誰かを傷つけてることもあるだろう。そんな気持ちにさせて、それでもまだ読んでくれてるのなら本当に申し訳ない。謝りたい。コメントを読んでハッと気づかされたこともある。今後、できるだけそうならないよう、気をつけたい。

 

では、みんながみんな、そういった話を書かないほうが良いかというと、そうは思わない。

その記事を読んで気持ちが救われる人もいるだろう、同じだなと共感することで自分1人じゃなかったんだと気が楽になれる人も必ずいる。

ただ、それでも辛いと思う人がいるだろうから僕は書けない。

 

僕らは雑記だなんだと好きなネタを発信しているけど、そのテーマによってはひどく誰かを傷つける可能性があるってことを考えないといけないと思う。

雑記の美学?いやいやとんでもない、結局誰かと会話するのと同じ。親友以外の人と会話するときにそんなデリケートな話はしないでしょう。

時には踏み込んだ記事も必要だろうけど、それでも書くべきではない話、書いてはいけない話があると考えている。

 

考え方は人それぞれだけど、悲しい感情に直結するようなテーマは軽い気持ちで書いちゃいけない。

自分が悲しいと思うのなら、他人も同じような悲しみを抱えているのかもしれないと考える、読み手にどんな人がいるのか想像する。それはアクセスの大小関係なく。

 

誰が笑ってくれるか、どんな人が悲しむか。

ブログを続けていると書けない話も多くなってきた。無意識のうちにフィルタをかけて避ける話題がある。デリケートな話題なんてとんでもない、自分が軽々しくネタにできるような話ではない。

 

 

 

いろんな出来事について思うところがあっても、第三者の立場で能天気な事は書けない。自分が当事者になって覚悟ができてから発言したい。

そんな事を考えるようになってから、当たり障りのない話ばかり書くようになってしまったよ。トホホ

バカな話を書いて、自分の事をアホだバカだと言われる、でも誰かを悲しませるような記事を書くよりこっちの方が断然いい。他人に辛い記憶を思い出させるような話を書くより、自分をネタにバカやって笑ってるほうがいい。それで「こいつはロクでもない」とか「精神年齢低そう」と言われるほうが幸せだよ。

 

なーーーんて、ふだん書かないようなことを書いてしまった。内心を書くなんてまだまだ修行が足りんな。

 

じゃ、ウンコしてから風呂入ってくる。ほんだば!

Copyright© TAIYAKI-OYAKO All Rights Reserved.